人気ブログランキング | 話題のタグを見る
ブログトップ

虹の空へ

junesky.exblog.jp

ヘドウィグを観て~その1

ヘドウィグを観てから1週間ちょっと経ちました。
その間、頭のどこかで常にヘドウィグのことを考えてるワタシ。
演出のこととか、ラストのこととか、いろいろ考えながらも
舞台のこーじヘドを思い出して、思わずニヤけてしまう。
ワタシはやっぱりヘドウィグが好きで、こーじヘドが好きなんだなあ。

こーじヘド期間中は封印しようと思った映画DVDを誘惑に負けて
観てしまったんだけど、やぁ、なんだかいろいろ気づきました。
いちばん初めに映画館でヘドウィグを観たときは予備知識なしで、ラストも
何がどうなったのか、よくわからなかった。
だけど、ヘドウィグの歌が好きになり、ちょっと根性悪そうだけどいじらしい
ヘドウィグが好きになり。
「人を愛したい、愛されたい」というヘドウィグの気持ちが音楽や語りで
ビシビシ伝わってきて、カタワレ探しという、ちっとも特別じゃないことに
共感する。

そう、意味なんてわからなくても感じることができればいい。
そんな作品なんだとつくづく思いました。
言葉にするのは難しい。
でも、心で感じたままでいいんだなあと。
ヘドウィグの思いを感じ取り、それを受け止め、ヘドウィグが好きになる。
舞台から彼女もそう言ってるよね。



「ワタシを好きになった?」って。

映画DVDの特典ディスクではこれまで何人かの俳優が演じてきたいろんな
ヘドウィグが見られます。
色っぽいと言われるヘド、キュートなヘド、いろいろ形容されるヘドウィグが居る。
たくましそうなヘドまで居たよ(笑)
いろいろなヘドウィグが居てかまわない。
どのヘドウィグを好きになるか、それは好みの問題で。
ワタシは、ピュアでキュートでせつなくていじらしい耕史くんのヘドウィグが
好きだけど、また誰か他の人がやれば、その人のヘドも好きなるかも。
へドウィグという人が好きだから、誰が演ってもワタシは観にいくと思うし。
それはそれで楽しみで嬉しいことです。

ってことで、あれこれ考えてたことをウザく語るシリーズ(勝手に)

ますは「ウィッグについて」
この作品では「WIG IN A BOX」って歌もあるくらいウィッグは大事な
アイテム。
ヘドウィグにとっては、人生どんな悲しいことがあっても、メイクをして
ウィッグをかぶると、ファラ・フォーセットやパンクロック・スターに
なれる。
最高の自分になれるんだよね。
というか、メイクやウィッグで武装しないと最高の自分になれない。
カタワレ探しもできない。

でも、最後にはカツラを脱ぎ捨て、映画ではそれをイツァークに渡す。
それまでかぶることを禁じられてきたイツァークは、またクロアチア時代
のように、ウィッグに女装でカタワレ探しをするのかな。
それとも、そんなウィッグをかぶったイツァークが本来ののイツァーク
なのか。
それはわからなかいけど、ヘドウィグの本当の自分はウィッグなしの
裸の自分。
ヘドウィグもそれに気づいてウィッグをかなぐり捨てる。
メイクもウィッグもなしでも、J・C・ミッチェルが言うように
「一人でもホール(全体的)なんだ」と気づく。
カタワレが必要な自分じゃない。カタワレは自分の中にある。
だから、ヘドウィグって悲しい目にあってツライ話だけど、ラストは
希望があるし、観てるときも幸せな気分になれるのです。

ヘドウィグがトミーに笑いかける、トミーを好きな気持ちが伝わってくる。
それを客席で見るのが嬉しい。
カタワレ探しをしてるヘドウィグだけど、愛を知ってる、愛することができる。
それは幸せなんじゃないかと思いました。
耕史くんが演じるヘドウィグはそんなヘドウィグ。
愛するということが伝わってくる作品ですね。

ウィッグの意味は特典DVDの中でジョンがこんなふうに言ってます。
これを聞いて、「指輪物語」大好きのワタシはなるほどー!と納得できました。
カツラは発展のための道具だ。
「ロード・オブ・ザ・リング」の指輪と同じで、憎みながらも
カツラを必要とする。
彼(人?)はそれを捨て、自分の片割れを探しに行く。
ラストのヘドウィグ同様、カツラなしで生きていける。
誰かに譲ることは幸せなことだ。

「彼」が誰のことか不明だったので、一般的な「人」を指すのかなと
勝手に解釈してしまったけど、違ってたらすみません。
カタワレ探しの旅はウィッグを捨てる旅。
ヘドウィグはそれを捨てる代わりにイツァークに譲った(映画ではね)
ああ、キュンキュンくるよ。せつなくて(照)

そんなキュンキュンにに水を差すイツァークの白いドレス問題は次回に(笑)
by june-sky | 2007-02-28 10:37 | Hedwig 2007
<< ヘドウィグを観て~その2 & ... 「華麗なる一族」第7話 >>