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虹の空へ

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「ぼっちゃま」

(2011.06.09 シアタードラマシティ 下手寄り1列目)

「ぼっちゃま」_c0063587_1323953.jpg<作>  鈴木 聡 
<演出> 河原雅彦
<音楽監督&ピアノ>佐山雅弘
<出演>
稲垣吾郎 白石加代子 高田聖子 中村倫也
大和田美帆 谷川清美 福本伸一 小林健一
柳家喬太郎 梶原 善


あらすじ
舞台は。終戦後の昭和25年、東京郊外のとある旧家。
主である井上幸一郎=「ぼっちゃま」(稲垣吾郎)とその唯一の理解者である
「ばあや」の千代(白石加代子)を中心にした物語。
その強烈な美意識や思想ゆえに、兄弟たちやその連れ合い、愛人、出入りの
骨董屋や八百屋、さらにご近所さんを巻き込んで騒ぎを起こす「ぼっちゃま」。
愛と美学の人「ぼっちゃま」が繰り広げるドラマは、粋でオシャレで滑稽で
哀しい、人生そのものなのです。
                   「ぼっちゃま」公式より

「ぼっちゃま」も今日が千秋楽。
観に行った友人からのメールによると無事に終わったようで、ごろーちゃんてば
最後のご挨拶では3本締めで〆たはずなのに、また1本締めもやったとか。
どーなってるんだろ(笑)

ほんとにステキな作品だったなあ。
ごろーちゃんがピッタリはまってて、乳母の白石さんとの
組み合わせがこのうえなく良い雰囲気で。
周りの人たちも良いひとばかりで、あ、これは役柄上も役者としても。
ずっとニコニコして観てられる。
そして観終わった後、幸せになれる、暖かい気持になれる。
こんな作品が大好きです。




ワタシはこのごろーちゃんのぼっちゃま像もすごく好き。
この「ぼっちゃま」はごろーちゃんが演じたからこそのぼっちゃまでした。
「良かれと思いアレコレことを起こすのだけど、ただただ周囲を
振り回すだけの困ったお兄ちゃん」(パンフより)
そんなぼっちゃま像をアテ書きされた鈴木さんにも演出の河原さんにも
よくぞこんなステキなぼっちゃまをごろーちゃんのために(感涙)という思いです。

前回観たごろーちゃんの舞台「魔法の万年筆」でも本を書かれた
鈴木さんも役者として共演された河原さんもその当時から稲垣吾郎像が
だんだんと出来上がってきたわけで。
素のごろーちゃんを生かしつつ、稲垣吾郎がこんな役をやったら
面白いという視点で作品を作り上げてくださった。
そんな河原さんのぼっちゃま像は・・・

「格好つけてもどこかズレてて、どう見ても格好悪いはずなのに
無性にカッコよく、誠実に振る舞っているつもりがやってることは
不誠実、不誠実に振る舞っているのに不思議と誠実さが伝わる」
(パンフより)

そうそう!まさにそんな感じ!
このとらえどころのなさそうなキャラが、ファンの思う素のごろーちゃんに
ぴたっと嵌るような気がするよーー!
見方に愛があるよね。ごろーちゃん、幸せ者です。

またごろーちゃんのビジュアルが良いんだよ!
ごろーちゃん、ちょっと痩せたかな?
舞台がハードなせいもあるのか、ちょっとスリムで骨が細い雰囲気が
昭和な感じ。
骨格はしっかりしてるほうだけどなんだか華奢に見えました。

前はちゃんとブローされていて後ろはクリクリの最近の髪型で、それでも
そのまま着物に合うんだね。
腰高なごろーちゃんの着物の帯はかなり下の方になるので、ちょっと
いなせな感じ。
白い着流しも紋付き袴も白シャツにスラックスも何もかもがお似合い。
涼しげに着こなしています。

かと思うと、お芝居は結構テンション高くて、声を張ったり、髪が乱れるくらい
動きが激しかったり、いつものクールビューティーなごろーちゃんとは違います。
ま、最近のごろーちゃんは何か吹っ切れたような、おもしろ大好きな、あんな
感じを地でいってました。
得々と自分の主張を声高に話すかと思えばちょっと拗ねてみたり、自問自答
して悩んでみたり、それをまた「自問自答でした」と自分で締めくくってみたり
(頓知も効くよ!w)
お茶目だったり可愛かったり女にだらしがなかったり憎まれ口を叩いたり。
もうクルクルと表情も様子も変わります。
そのどんなときも、育ちが良いからお上品でステキなんだなあ、幸一郎さん。
この品の良さはごろーちゃんにも通じるものだもんね。
さすがワインパーティーが似合う男。あ、茶化したらいかん(笑)

今回は席にも恵まれ、そんなごろーちゃんがほんとにすぐ目の前。
足首がきゅっと締まってるとことか、足の裏とか、手とか、もう細々と観察
しちゃったよ。
ごろーちゃんも足の裏がキレイです。眼福です(笑)

そして乳母・千代役の白石さんがまた素晴らしい。
白石さんは『「白石さんが稲垣吾郎さんのことをぼっちゃまと呼んだら夢が
膨らむと思った」そのひとことで出演を決めた』とパンフの中でおっしゃってます。
この言葉で千代さんと幸一郎ぼっちゃまのイメージが浮かんだんですね。
それがまた劇中、ちゃんと客席のワタシたちにまで届きましたよ。
千代さんが見守っていてくれているから、あの鷹揚で思ったままを
口にしてしまう幸一郎さんだけど、攻撃的にも嫌味にもならず、終始、
温かな空気をまとっていられたのも千代さんという存在のおかげだと
思います。

浮世離れした風情のおぼっちゃまに負けず劣らず千代さんもどこか
ちょっとリアリティのない感じ。
でも、そのふたりが一緒にいるとなぜか、その当時、ホントに
こんな人たちが居たのかも・・・と思えてくる不思議。
それは幸一郎さんと千代さんがお互いに寄せ合う信頼感や愛情は
いつの時代にも共感できるものだからかなあ。
この作品のテーマである「心のやりとり」が生きて伝わってくるから
かなあと思うわけです。

二人を取り巻く人々にもまた悪い人はいません。
あの骨董屋さん(柳家喬太郎さん。この人もすっごい印象的!
落語家さんそのままの口調での語りがヨカッタ!)くらいは
お茶碗持ち逃げしたりして・・・と
ちょっと心配だったけどそういうこともいっさい無く。

だけど、人間のことだから欲もあるし嘘もあるし裏切りもある。
幸一郎さんだけが本妻の子で、あとの兄弟はお妾さんの子。
そして兄弟たちはみな、幸一郎さんの財産をアテにしてことあるごとに
せびりに来る。
それだけでもドロドロしてるはずなんだけど、幸一郎さんも
ちょっとしたあてこすりを言ったりもするんだけど、結局は父親の
遺した骨董品を売ってお金を作り、兄弟に与える。
「父さんもこういう使い方をしたら喜ぶはず」と言って。

まあ同じ理屈で自分がお酒を呑み、女を買うためにお金を使うのも
「父さんは喜ぶはず」と言ってましたが。屁理屈w

ドロドロしたことをカラッと描いていると、これもどなたかが
パンフで言っていた言葉ですが、ほんとにそんな感じ。
普通の人たちが戦後、お金が無くて、でも何かやってやろうと
一生懸命頑張っていて、その様子を見るとみんな憎めないんだよね。

幸一郎さんが騒ぎを巻き起こすんじゃなくて、騒ぎに巻き込まれてる
感じなんだけど、人一倍寂しがり屋さんぽい幸一郎さんはそうやって
姉弟たちに頼られるのもまた嬉しいのかなとも思います。
姉弟たちに向ける言葉も結局は優しいです。
ラスト、また一文無しになった弟に向ける言葉なんか、優しすぎて
ホロリと来ちゃう。
苦労知らずのぼっちゃまだけど、人としての品性は損なわれることなく、
行き詰まったら千代さんの相談したり愚痴ったりして、自暴自棄になったりも
するけれど、そうしながら幸一郎さんはやっぱり自分の生き方を変えず
飄々と生きていくんですね。
最後まで何が起こるかわからない、ドキドキ感もあり、そのあたりの筋立ても
とても楽しめました。

結局、千代さんが本当のお母さんなのかなあという、幸一郎さんの長年の淡い
疑問には答えはなく、それはそのままで、曖昧なままでいいんだなあと思います。
どちらでも構わない、それが二人の自然な関係なんだという幸一郎さんの思いが
よくわかります。
というか、観てる側も自然に「もしかしてそうなのかな」と段々と思えてくる。
でも、そんなことこの二人にはどうでもいいんだなあというところまで見てる方も
感じてられる。
その作った感のない自然さが素晴らしいです。
そう思えるほど二人の空気感が自然だったということなんでしょうね。

と、ダラダラとまとまりのない感想になっちゃった(汗)

とにかく、周りの名優さんたちに囲まれ、ほんとに素晴らしい舞台に巡り会った
ごろーちゃん。
ごろーちゃんには舞台が似合ってます。
これからもずっと舞台には立ち続けてほしいです。
パルコの稲垣吾郎シリーズwがずっと続きますように。
秋のお芝居も観に行きたいなあ。。。東京でしかないけども。
ごろーちゃん、大千秋楽おめでとー!ホントにお疲れさまでした。
by june-sky | 2011-06-13 23:59 | 観劇・演劇
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